常呂図書館は、写真や紙資料を積極的にデジタル化して保存し、
一部をホームページや道立図書館のデジタルライブラリーを
介して公開しています。
下の2枚は、昭和35年2月14日に行われた町民スキー大会の写真。
このときの写真と常呂でのスキーの歩みを組み合わせてPDFに
まとめた「あのときの常呂・写真館」の第1号ができました。
これ以降、地域のさまざまなできごとをテーマにして200号まで
作成しました。
ちなみに、「あのときの常呂・写真館」は、道立図書館の
デジタルライブラリーと北見市立図書館のホームページに
あるデータベースで公開しています。読み応えがあります。
下の写真は、富丘地区の方から提供された昭和30年代前半の1枚。
農作業の合間の休憩で家族を中心にトウキビを食べているワンショット。
皆さんの笑顔がステキです。
常呂図書館の写真デジタル化は、旧常呂町時代の広報が撮りためたネガフィルムや
写真、そして、「常呂町百年史」作成時に寄贈を受けたものを何とか残したいと
考えて始めましたが、この写真は、その動機付けに一役買っています。
常呂図書館で所蔵している写真は明治時代から現代まで、
ファイル数が約80,000、フォルダ数で約6,000と膨大な量です。
写真は、時代のできごとを記録するばかりではなく、この写真のように、
生活やその当時のようすや雰囲気も映し出す大事な資料です。
今はなくなってしまった地域や学校での一コマも地域の歴史の中に確かにあった
証として残していくことが、けっこう大事なことだと考えています。
こういう作業ができるようになったのは、スキャナーなどの機器が容易に扱える
時代になったことと元資料が残っていたことが大きな要因です。
また、「常呂町総合年表」という209ページにわたる細かなできごとも含めた
年表を作ったことで、写真の時代特定ができるようになったことも大きな
要素です。北見市立図書館のホームページで公開しています。
道立図書館のデジタルライブラリーには、写真や図など合わせて約2,600件を
アップしています。ご覧いただければ幸いです。
デジタルライブラリーは、リニューアルしてから検索がとても便利になりました。
複数のキーワードを組み合わせた「アンド検索」ができるようになり、ヒットした
記事が小さな写真で確認でき、記事の説明文がすべて検索可能になっています。
(常呂図書館は、できるだけ写真の説明文と関連情報を付けるようにしています)
検索スピードも驚くほどアップ。お試しあれ。
他にも、デジタル化の一例として、旧常呂町の広報(昭和32年12月から
平成18年3月)もPDF化して保存しています。
この記事を検索するために、記事の中からたくさんのキーワードを抽出して
検索ツールを作りました。広報の現物を見なくても必要な記事を探し、確認できる
ことで、レファレンスにも役立っています。
常呂の地域限定ですが、地域のあれこれを調べる道具が揃っています。
おまけ…龍宮街道命名から100年
常呂図書館は、大正2年から昭和35年までの現存する「当直日誌」
(かつて役場には当直制度があり、日誌をつけていました)を
PDF化して保存してます。
大正10年9月2日(1921)の記事には、「本日午後4時、文学士
大町桂月氏来村。午後8時より市街公会堂において講演。
聴衆200余人、盛会なり」と記録しています。
聴いたという。〈皇室中心主義と思想問題〉」と記録しています。
大町桂月が常呂村で宿泊したのは当時の駅逓で、「桂月全集別巻・下」の
〈三たび北海道〉に「駅逓と宿を兼ねる家」に泊まったことを書いています。
下の写真は、昭和30年代中頃のものですが、左側の木造2階建ての建物が
かつての駅逓です。
また、大町桂月が講演を行ったという公会堂の名称は不明ですが、当時市街地には
「興仁館(こうじんかん)」という集会所がありました。「常呂町百年史」には、
明治44年11月3日完成、青年夜学校でもあり各種集会・行事に利用と紹介しています。
興仁館の場所も不明ですが、講演会場となった可能性は高いと思われます。
下の写真は、大正4年の興仁館です。
さて、大町桂月は9月3日に常呂村の重鎮(加藤留五郎・松田三次郎・中野宏平)らと
ともに、動力船で下湧別へ向かいます。船上ではトウモロコシやウィスキーを
飲み食いし、元ワッカの駅逓に上陸します。
「桂月全集別巻・下」の〈三たび北海道〉と「桂月全集別巻・上」の〈北海道山水
大観〉と〈四たび北海道〉に、このときの思い出とともに、サロマ湖の砂州を
「龍宮街道と命名す」と書き、その理由も記しています。
オホーツク海とサロマ湖の両方の景色を楽しめる雄大で広大な「龍宮街道」の
始まりです。
下の写真は、明治21年設置、大正9年12月31日廃止のワッカ駅逓。